So-net無料ブログ作成

『ヒロシマのオルフェ』とブラームスの交響曲第1番 [作品]

『ヒロシマのオルフェ』とバルトークを並べてみたり、ワーグナーを連想してみたり、いずれも好き勝手な滅茶苦茶です。このことについては、オクダイラハジメ氏の未発表論考「大江&芥川~エリオットの影響についての雑感」(2010年3月執筆)のなかに言い尽くされていますので、以下引用します:

「しかし、このような分析は、芥川作品の音楽形式に迫らなければ本質的に“み~つけた”ということと“情緒的意味論”のこじ付けで終わってしまう」

引用以上。

『オルフェ』を練習しながら、バルトークだのワーグナーだのへと思いを交錯させることは、もちろん分析ですらなく、単に「これって似てない?」のレベルにすぎません。そしてなおかつ、そういう雑多な感想や思い込みのやりとりの集積があってこそ、作品と時代はせめぎあい影響しあって生きていけるのだと思います。

あまりに知られた例ですが、ブラームスが約20年かけてやっと世に問うた交響曲第1番。第4楽章の晦渋かつ深遠な序奏を経て、ついにあの主題が提示されるとき、「これって“第九”の4楽章に似てない?」ということはおそらく過去に幾千万の人の脳裏をよぎり、また実際に議論されたり批判されたり解説されたり、ここが好きだの嫌いだの、と酒の肴になったりしてきたことでしょう。

しかし日本人の作品は、そういうふうに人々の生きた心に揉まれて、ありのままの感情や思考と化学反応を起こし合いながら時を経ていく、そのような機会にあまりにも恵まれていないように感じられます。
音楽としてごく自然に人の間の空気のなかに響き、その響きを聴衆と演奏者が共有し、「音としての実体験」が広がっていく、そのなかでこそ(極言すればそのなかでのみ)作品が育っていく…
このことを、ニッポニカの7年間をはじめとして、日本人の作品を折に触れて演奏する機会を得てきたニッポニカの団員たちは、今回の『オルフェ』でいっそう強く実感していると思います。

『オルフェ』の作曲者が最後の数日まで病室で聴いていたのは、ブラームスの交響曲第1番だったという話をきいたことがあります。

あすはいよいよ、本番です。ひとりでも多くの聴き手の方々と、この音楽を共有できることを願って。

オーケストラ・ニッポニカ第17回演奏会
<芥川也寸志管弦楽作品連続演奏会・その3>
2010年3月14日(日) 16:00開演予定
会場・ティアラこうとう
(都営新宿線・東京メトロ半蔵門線「住吉」より歩5分。住吉駅は大手町から半蔵門線11分、新宿から都営新宿線21分。あるいは、総武線「錦糸町」からゆっくり歩いて15分弱。)

指揮:本名徹次
曲目~
芥川也寸志: 音楽と舞踊による映像絵巻「月」 (1981)[舞台初演]―演奏会形式による
芥川也寸志: 歌劇「ヒロシマのオルフェ」*(1967)台本/大江健三郎―演奏会形式による

*青年:黒田博(バリトン) / 若い娘、のちに看護婦:腰越満美(ソプラノ) / 中年の娼婦、実は巫女:加賀ひとみ(メゾソプラノ) / 死の国の運転手、のちに医師:吉田伸昭(テノール) / 合唱:Chor June、すみだ少年少女合唱団、オルフェ合唱団

副指揮:四野見和敏
管弦楽:オーケストラ・ニッポニカ

<当日券あり。残席余裕あります…>
nice!(0) 

nice! 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。